当麻兵村入植20年の動き
年月日 事           柄
明治26年
4月4日 屯田歩兵第3大隊第5・第6大隊開庁する
5月10日 広島・山口両県出身者の屯田兵が先駆者として入植する
5月18日 第5中隊・第6大隊各200戸の全戸入植完了。所属将校より開墾の順序説明を受ける
6月6・7日 軍医部長山上軍事正の衛生講話、及び、赤十字スライド見学
6月25日 番外地区画割をなし兵村酒保として希望者に貸付す
7月4日 旭川練兵場(東旭川村)に於いて新兵員を集め入隊式を拳行
7月10日 一般練兵開始
7月12〜14日 農業技術師永根平教氏来村、作況視察・練兵場に於いて全兵員を集め農事講和会を開催
8月3日 陸軍中将谷千城、候爵山内豊一閣下来村練兵を視察
8月22日 永山練兵場に於いて大隊全員の最初の検閲を行う
8月    久山隆憲師本願説教所を設立する(本村寺院の最初である)
9月13日 初霜
9月23日 南北小学校開校式が拳行される。この日祭典として剣道の試合を行う
10月28日 永山練兵場に於いて大隊全員の初練兵を行う
10月31日 永山練兵場に於いて参謀長の分列式および各個教練の検閲を行う
11月3日 天長節(天皇誕生日)につき分列式を行う
11月5日 忠別市街方面に2泊行軍を行う
11月7日 初雪(積雪量15cm強)
12月7日 天皇・皇后両陛下の御真影下賜される。この年移住人口、男567・女415人 増加人口男81人 女71人
明治27年
1月1日 永山村大隊本部で将校、下士官の拝賀式を行う
1月25・26日 大吹雪の為 音江法華、忠別間が不通となり、各戸配給の扶助米、塩菜料下げ渡しが出来なくなり村内の食料欠乏し、村民の生活困窮を極めたが、2月8日漸く交通が開け蘇生の思いをする。
2月11日 紀元節(建国記念日)拝賀式の予定が降雪の為挙式取り止め。
3月9日 両陛下御結婚25年銀婚の盛儀につき、兵員一同祝賀式挙行、一同に酒食料下賜される
3月20日 この頃から日清開戦の噂が盛んになり、屯田兵の意気またあがる。
演習頻繁に行われ、猛烈な練兵を課せられる。
4月8日 南北小学校に於いて御真影奉載式を挙行する。
5月10・11日 移住記念祭を行う
5月15日 移住記念標木を17丁目道路右側高地に建設し、この地(801番地)を神社敷地として天照大神、八幡、春日の3社を祭り当麻神社と命名標木を建て、氏子総代を置き、5月10・11日の屯田兵入地日を例祭日とする。
5月28日 公有財産取扱僻規制を制定する
6月5日 各班に給養班長が命ぜられる
6月6日 3大隊長の更送あり。
和田中佐休職し、後任に渡辺水哉大尉が大隊長心得に補せられる。
6月11日 出師準備計画あり(大隊長の検閲)
8月1日 日清戦争宣戦の詔勅下る
9月16日 兵村集会所に於いて日清戦争のスライドによる説明会あり。
11月3日 北小学校に於いて第1回農産物品評会が開催される。
11月9日 非常時計画による出征準備演習実施する。
明治28年
1月15日 馬匹徹発の通達あり、玉虫大尉来村す。
1月21日 合格馬徴発されたが、頭数不明
2月21日 突然、大隊長は各中隊を召集し重大内令を下す。
3月1日 兵員準備として予め出征不在中の事務を取扱いさせるため、各中隊長より留守官、班取締りの任命あり。
3月11日 午前7時、両中隊一斉に征途に上る。
3月24日 午前6時30分屯田兵の充員と予備、後備役の招集を命ぜられる。
3月30日 小樽出帆。
4月8日 東京屯営に到着
6月10日 第3大隊帰隊。永山村練兵場に於いて凱旋式が挙げられる。
6月22日 復帰解散
6月30日 南北小学校合併について両村諮問会に諮問する。
9月13日 第3大隊第1中隊長三輪光儀、大村武中尉台湾に派遣される。
10月7日 勅令第9号により屯田兵1戸につき、金30円下賜される
11月5日 初雪
11月   当麻神社本殿が両兵村の寄付により建築される。
明治29年
1月1日 渡島、後志、胆振、石狩の四ヶ国に徴兵令が施行される。
1月13日 屯田兵大尉津田教修氏その後任として着任、22日少佐に昇任する。
1月18日 渡辺大隊長歩兵第15連隊(月寒)大隊長に転任する。
3月10日 永山戸長役場により配布された水稲種籾若干を片山善三郎氏に試作依頼する。これが本村公的水稲栽培の最初であるが、これは失敗に終わっている。
(稲作については別項参照)
5月12日 第7師団を札幌に置き、屯田兵のことを合わせて管理する。永山武四郎第7師団長に補せられる。
6月10日 大雷雨あり兵屋(兵屋番号73)1戸焼失する。
6月22日 空知太(現在の深川)旭川間の鉄道着工される。
6月24日 日清戦役の功労金授与式を挙行する。
7月13日 初めて道路測量する
7月24日 夜盗虫大発生しその被害甚大
8月6日 陸軍省第一課長砲兵中佐伊知地幸介し兵村を巡視する。
8月15日〜5日間 将校以下兵員全員出動し、牛朱別川、当麻川の流木切流し及び凌渫作業を行う。
8月25日 兵員の共同作業として道路修理工事を行う。
11月15日 検閲使永山司令官来村す。
11月16日 参謀長松永正敏氏兵村を巡視する。
11月17日 軍事検閲及び観兵式挙行する。
12月1日 歩兵、砲兵、工兵の各兵科野戦独立隊を月寒に置き、屯田指令部を第7師団司令部と改称する。
明治30年
1月11日 英昭皇太后陛下崩御につき16日まで稼業休む、村民は30日間喪に服す。
2月7日 永山練兵場で遥拝式を行う。
3月30日 孝明天皇30年祭遥拝式を中隊本部前で行う。
4月15日 上川郡役所を旭川に置く。
5月14・15日 当麻神社祭を挙行。
5月15日 公有財産増築計画に基き、上川御料局より落葉松の苗の払下げをうけて移植する。
(本村造林の最初である)
6月18日 野津大将一行退村する。
6月19日 大降雹あり、農作物に被害甚大なり
7月22日 夜盗虫亜麻の被害あり、駆除を行う
7月30日 公有地交換の件につき、取扱委員会を開催する。
8月1日 上川郡農会発会式を忠別市街地(旭川市)で挙行する。
8月18日 フランス騎兵大尉ビモダン伯屯田兵制度視察の為来村す。
9月27日 結霜あり
10月30日 郡役所を廃し支庁を置く(11月1日上川支庁開庁)
明治31年
1月1日 天塩、北見、日高、釧路、根室、千島に徴兵令施行せられる。
1月18日 南北小学校に御真影奉遷式を挙行する。
1月19日 当麻尋常高等学校の校舎落成する。
1月20日 開校式を挙行す。
新校舎に於いて上川連合農産物品評会開催する(褒賞授与式など挙行)
4月16日 融雪浸水し農作物の被害甚し。
4月21日 西南の風強く夜半から豪雨となり、牛朱別川が増水し交通途絶する。
開村以来の大洪水となる
5月25日 忠別市街地(旭川市)で空知太(深川市)旭川かん鉄道開通式を挙行す。
5月28日 公有財産地調査の為小口委員人夫5人を連れ伏古愛別へ出張す。
翌月14日は第1回踏査終り、同日交換のことを決定する。
6月13・14日 結霜あり、農作物被害290数ヘクタールに及ぶ
6月14日 当麻神社祭典
7月16日 上川鉄道の試運転を開始する
7月30日 騎兵監 陸軍少将大倉平三氏 斥候騎兵訓練のため来村する
8月21日 上川鉄道開通式を旭川で挙行する
9月6日 豪雨再び襲来し浸水家屋東兵村37戸 西兵村10戸 挙村一致して遭難者救助 橋梁道路の応急処置に当たる
10月2日 早くも 初雪
11月20日 鷹栖村字近文を第7師団の位置に選定される
共同墓地周囲の排水溝掘削工事に兵員400名が出勤し工事を行う
明治32年
2月18日 空知地方に雪中行軍を実施する
3月24日 両兵村水害被災者66名に対し、特別扶助米が給与される
4月26日 渡辺侍従武官慰問として来村 歓迎余興として神社前で競馬会を開く(27日)
7月27日 第7師団建築工事着手する。
9月1日 桂陸軍大臣 寺内教育総監来村する
11月 巨熊が兵村部落に出没する
明治33年
3月31日 両中隊事務所構内で後備役編入式を挙行する
4月1日 第一中隊を西当麻、第二中隊を東当麻と改称し東西両兵村に各兵村監視駐剳事務を開始し、後備屯田兵曹長吉田保次郎氏を西当麻同じく小口甲一郎氏を東当麻の各兵村監視に命ぜられる
4月25日 永山師団長休職、大迫尚敏中将第7師団長に補される
6月7日 永山村より分村
永山村字トオマを当麻と改める。
6月15日 当麻神社祭典を行う。
同夜結霜あり、農作物の被害甚大。
8月29日 農村会設立の件につき組合長会議を開き、9月1日農村会発足式を挙行する。
9月13日 板垣退助氏旭川に来る。
9月16日 伝染病予防の件につき東西兵村の常置委員会議を開催する
9月19日 腸チブス患者発生し蔓延の兆しがあるので元東兵村将校官舎内に臨時衛生組合事務所を開設し、患者を隔離収容する。
10月5日 小学校屋内運動場に於いて第1回簡易占手が行われる
11月13日 伊香牛簡易教育所建設の件について部落調査を行う。
11月27日 小学校で新入営兵の歓迎会を開く
歩兵第25連隊を除く、26・27・28連隊及び騎兵・砲兵・工兵・軽重兵の諸隊旭川に移動する
明治34年
1月15日 伊香牛小学校開校
3月27日 北海道会法及び北海道地方費法公布される。
4月1日 屯田兵大隊及び騎兵・砲兵・工兵の各隊解散する。
6月27日 第7師団憲兵隊本部を札幌から旭川に移す。
7月5日 陸軍大臣 児玉源太郎大将旭川を視察する。
8月10日 上川支庁管内道議会議員の初選挙を行う
9月19日 当麻村戸長、役場新設告示される。
10月30日 第7師団司令部を札幌から旭川に移す。
10月31日 兵村自治を廃止する。
11月1日 戸長役場開庁し初代戸長として 上川支庁属 三浦寛忠氏就任する。
11月2日 永山村との業務引継ぎを行う
11月22日 総代会開設する。
11月25日 墓地・火葬場新設許可される。(1丁目旧墓地)
12月6日 村費徴収について総代会を開き、戸別割・反別割・水田事業割等を議決する。
明治35年
2月25日 厳寒、マイナス41度となる
3月 この月、屯田歩兵大隊解散する。
5月23・24日 各地洪水で上川地方の被害多し
7月11日 旭川、 札幌、小樽間電話通信開始する。
8月10日 旭川に於いて衆議院議員選挙を行う。
8月19日 貴族院議長 近衛篤麿氏来旭
10月 第7師団兵営 司令部等竣工する
11月5日 第2代戸長 吉田保次郎氏就任する。
12月1日 郵便取扱所設置される。
12月    この月、第7師団各隊の収容完了 この年は凶作に次ぐ大不作でであった。
明治36年
1月26日 上川神社創立許可される
2月21日 旭川に大火あり(50戸焼失)
4月1日 旭川に庁立上川中学校開校される
6月1日 宇園別小学校開校する。
7月17日 横須賀鎮守府司令長官 井上良馨大将 旭川及び上川を視察する。
10月25日 第7師団より北清駐屯軍を派遣する。
この年、屯田兵制度廃止される。
明治37年
2月10日 ロシアに対し宣戦布告する
2月12日 歩兵第28連隊2大隊函館要塞守備の為派遣される
3月8日 久保支庁長妙心寺派説教所で軍事講をして村民を激励する
8月4日 第7師団に動員令下る
本村より応召者372名 うち事故により帰郷した者60余名
9月21日 第7師団各隊戦地に向かい輸送開始される
10月26日 留守第7師団司令部開庁
10月27日 野戦第7師団司令部出発する
11月    野戦第7師団は乃木大将第3軍の戦闘序列に加わる
12月5日 野戦第7師団203高地戦に参加奮戦する
この年、永山村との境界(17丁目)問題起きる。細野農場伊香牛地域に創設される
明治38年
5月1日 巡査駐在所創設される
6月20日 第3代戸長 伊東文夫氏就任する
7月    この月 我が軍南樺太を占領する
8月16日 日露平和克服の詔勅令発布される
この年 北海道拓殖銀行旭川支店および上川馬車鉄道株式会社設立される。
当麻村字ウエンベツを宇園別と改める。
11月17日 北緯軍参加兵凱旋につき当麻村奉公会は宇園別に凱旋門を作り酒肴を呈し盛大な歓迎会を催す
11月27日 第4代戸長 吉田保次郎氏就任する
12月11日 第5代戸長 松島牒平し就任する
この年 当麻村民の戦役国庫債券応募額1万7,525円に達する
明治39年
2月28日 山田 忠氏 第6代戸長に就任する
3月9日 第7師団司令部凱旋する
3月12日 各隊復員
4月1日 2級町村制施行される
5月    この月第7師団より樺太守備隊派遣される 北海道銀行旭川支店を置く(旭川)
6月1日 村会議員選挙を行う
6月24日 宇園別市街10戸のうち4戸火災にあう
7月6日 内務省令第24号をもって兵村公有財産部落有となる
8月15日 特命検閲使 野津道貫元師第7師団を検閲
9月24日 仏教婦人会創立される
10月2日 旭川電灯株式会社設立される
10月25日 元東兵村公有財産を村有基本財産として寄附をするための引継ぎを終える
11月13日 山田村長退職 宗広書記村長代理となる
11月17日 村会に於いて山田村長に慰労金25円贈呈することを議決する
この年、 実業青年同志会発足し(青年団の前身)農作物豊況となる
明治40年
2月2日 元西兵村公有財産を村有基本財産として寄附することの引継ぎを終了する
3月    第7代村長として増渕亥之助氏就任する
4月1日 北海道建設事務所を札幌に置く
4月    旭川に庁立上川高等女学校を設置する
8月11日 原内務大臣、水野神社局長、安楽警視総監等が河島長官と共に旭川を視察する
10月    増渕長官退職し吉田書記村長代理となる
11月    渡り熊 陸軍用地から出て伊香牛に現れ、比布、永山、本村に出没、松山・山畠等2人を倒す
12月    この年 水稲は平年作であったが畑作不良に加えて農産物価格低落し農村経済窮地に陥る
明治41年
2月14日 安達利三郎し村長に就任する。
4月3日 北分教場設立される
5月    この月 韓国暴徒鎮定のため第7師団より歩兵27連隊を派遣する
6月    この月 特命検閲使 川村景明大将第7師団を検閲する
10月13日 戍申詔書発布される
10月31日 当麻神社認可される
12月21日 上田師団長転任、上原勇作中将第7師団長に補される
この年 灌漑溝第2期工事測量設計費1,000円を村会で議決し調査に着手する
明治42年
1月    道庁移転問題起きる
5月    一木内務次官 上川視察
6月    大浦農商務大臣 上川視察
7月    月奥参謀総長 旭川視察
8月    後藤新兵逓信大臣兼鉄道院総裁 旭川視察
9月15日 当麻実業同志会発足する
11月6日 東兵村開拓記念碑建設する
11月21日 戍申詔書報徳勤倹貯蓄組合創立事務所を役場内に置く。
この年 米20%の減収に加えて米価著しく暴落し、金融遍迫し納税成績不振を極める。
なお、この年灌漑溝掘削起工し、工費8万4,000円の財源は主として起債による。有志の申し合わせによる信用組合組織される
明治43年
1月1日 宇園別組合創立
1月16日 少年教会創立
2月20日 当麻美風会生れる
3月15日 既設墓地を廃止し 新設墓地を設置する
4月21日 宇園別に2回目の大火災起こり 全焼9戸で殆ど全滅に頻する
7月17日 当麻分教団誕生する
9月3日 東小学校開校する
11月3日 在郷軍人本村分会発会挙行する
この年 宇園別に初めて私設消防組設置される
明治44年
1月1日 当麻郵便局電信事務開始する
2月    この月 第7師団に初めて スキーの使用を始める
3月18日 19日にわたって暴風雪あり
6月    この月 米価暴落し各地に米騒動が起きる
7月30日 明治天皇崩御し皇太子嘉仁親王ご践祚 年号を大正と改められる
9月    この月 巨熊各所に出没する
9月30日 1丁目墓地を廃止し当麻山麓に新設許可される
この年 夏期豪雨、暴風数度におよび農作物稍減収したが、米価が反撥上騰し農家は減収を補う結果となる。また、5・6月イネ泥負虫発生したため捕殺を奨励し 捕殺に努める


参考資料 当麻屯田百年史(当麻屯田会著)・当麻町史
協   力  当麻屯田会有志
製   作 当麻屯田会
2007.04

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