当麻屯田会
 当麻東兵村は明治26年5月10日より同18日までに入植。兵員数は200人。また、当麻西兵村も同様に、200人入植。
 そして、当麻在住の屯田兵が健在の頃、“草分け会”と称して時折集まっていたが、年々減少している状態であった。
 そのような時に、屯田兵家族として入植した古川虎次・小島庄七・今井政夫・山代善助・角谷兼次・水野憲一らほか数名が会合し、元屯田兵が高齢化していくので、旧当麻神社境内に参集し、屯田会を結成し設立した。会の名称を『当麻屯田会』と称し、会員は当麻屯田兵および家族の系統をもって組織されている。
会の目的

 当麻町の今日の隆盛の基盤を築かれた先人の逞しい開拓魂を尊び、感謝し、これを受け継ぎ、後世に屯田開拓の歴史を伝えるとともに会員相互に語り合い、社会に貢献することを目的としている。

結成以降の活躍状況

 結成されてから3年間は、例年1月に新年会と併せて懇親を開き、会員の親睦を深めておりましたが。そのほか、旧神社境内にある東兵村記念碑・西兵村記念碑などの周辺清掃、柏ヶ丘に位置する開拓記念碑域内の清掃を会員の手で年2回、労働奉仕をしておりました。
 その後、昭和42年に会員の協力により寄付金が集められ、旧神社境内の東兵村記念碑ならびに西兵村記念碑と並んで“屯田兵家族合同慰霊碑”を地元の石渡地区の石(安山岩)を使用して同12月に建設し、翌年43年から毎年5月、屯田兵ならびに家族物故者の慰霊祭を神式により拳行し、先人の苦労を偲んでいる。
 さらに、昭和43年7月、北海道開道100年を記念して、当麻町ならびに自衛隊のきょうりょくをいただいて、当時北海道を視察された永山武四郎氏が登ったといわれる山、即ち当麻町の中心に位置する“将軍山”に“永山武四郎将軍展望乃碑”を建立し、以降毎年、周辺の清掃労働奉仕を実施している。
 特に、北海道開道100年には、永山武四郎氏の子息、永山武美氏(当時、東京慈恵会医科大学名誉教授)と永山琴子さん(武美氏の義姉)を招待して、山頂でささやかな小宴を催し、山頂からお召列車を見送った。
 昭和47年4月、開拓記念碑域内に屯田公園設置されるや、当麻町開基80年記念事業として、水松・オンコ・ヒバなどを会員がそれぞれ持ち寄り、記念の植樹を行い、以後エゾムラサキツツジなども植えて屯田公園を完成した。
 ついで昭和52年85年の記念植樹、昭和57年に屯田会も協賛し旧当麻町役場庁舎を活用し郷土資料館が出来る。

現在の活動状況
 旧神社跡地にある「屯田兵合同慰霊碑」前にて昭和43年以来、毎年5月7日 屯田兵ならびに家族物故者の慰霊を執行している。
 当麻町郷土博物館の清掃と除草や前庭の整備花壇作り等に汗を流す。
 昭和57年8月 当麻開基90周年記念事業として郷土資料館が旧役場庁舎に開設される。
   

平成15年 当麻屯田会40周年記念座談会を 当麻町内に於いてて開催する

 毎年5月7日 屯田兵及び家族合同慰霊祭を 旧神社跡地にて行っております。
屯田兵及び家族合同慰霊碑 慰霊祭の様子 1
慰霊祭の様子 2 慰霊祭の様子 3
当麻町長挨拶の様子










参考資料 当麻屯田百年史(当麻屯田会著)・当麻町史
協   力  当麻屯田会有志
製   作 当麻屯田会
2007.04

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